入院、労災、突貫。がむしゃらな会社員生活と挫折。

私がこの治療の世界に入ったのは、私自身と家族の病気がきっかけでした。

当時の私はモーレツサラリーマンとして働いていました。

20代に一ヶ月の残業が209時間、7週間休み無しで働いたり、 労災事故で三週間入院した経験もあります。

若さや体力を過信し、健康と家族を省みない生活を繰り返していました。

でもそんな無理がいつまでも続くはずも無く、30代の時ついに慢性腰痛の悪化と腕の腱鞘炎を起こし、激しい痛みと共に歩くことも物をつかむことも出来なくなってしまいました。

休職を余儀なくされ、病院、リハビリ、整骨院、鍼灸や整体、健康法など良いといわれる様々な所へ通いました。

早く職場復帰しなければとあせりました。

でも何とか回復できたのは二ヵ月後で、当然出社をしても私の机はもう有りませんでした。

母の病気で、人生を考え直しました。

さらにそんな時期、田舎の新潟にいる母親が病気になったという連絡が来ました。

アルツハイマーでした。

息子の顔もだんだん分からなくなる母親に会いに雪の降る新潟へ向かいました。

がむしゃらにやってきたこれまでを反省し、これからを考える機会が出来ました。

長いと思う人生でも親や子供と一緒にいられる時間は短いものなのだ、ということにも気が付きました。

使い捨てられるような機械的な生き方から、今度は「人と人とのつながりの中で、一人ひとりを大切にし、人の役に立つ、楽しい生き方をしたい。」との想いになりました。

目からウロコ、この技術を身につけたい。

私が回復できたのは、聞いていたカーラジオで立川志の輔さんが紹介した赤坂の治療院でした。

目からウロコの治療を体験しました。

どこへ行っても治らなかった肘がいきなり治り、腰痛も通う度に回復しました。

この技術を身につけたい、自分自身の病気が治った時の感動を周りに伝えたい。

私を治療してくださった(故)姫野修拓氏より直接「ドイツ式カイロプラクティック」の伝承教授を得て、開業を許されるまでに至りました。

治療修行時代はマスコミや様々な芸能人の方と知り合え、テレビ出演もする等、忙しくまた充実した日々でした。

錦糸町での開業は自分が暮らしてきた街への恩返しがしたいと思い決めました。

30歳をとうに過ぎてからの新たな人生を目指す決意は、家族の励ましと援助が大きな力となりました。

「腰痛なら一番。気軽に通える。気さくで良い治療院。」との評判も頂き、有名人、スポーツ、芸能界の方、遠方からの方もご利用くださっています。

今では地域の祭りや行事に参加したり、治療院のファンクラブも作り宴会をしたり、楽しく仕事をさせていただいております。

治療院はたくさんの方に支えていただいているおかげと感謝いたしております。

これからもアットホームな温かい治療院として、皆様のお役に立てるよう精進努力してまいります。