美座時中氏の無薬療法研究
絶望からの、奇跡的な回復
美座時中氏は生来の病弱で、十歳のときに重い眼病のため、二年の休学となり、青年期には命にかかわる重病のため、視力、聴力を失う危機に遭います。
氏は当時のことを「名医の治療も、手厚き父母の手当ても、少しの効果も無く、このうえは生きがいも無く、むなしく体を横たえていくしかない、という医師の宣言には、天をも恨み、苦悩の末、命さえ絶たんかと企てたことも、一度ではなかった。」と著書で語っています。
しかしある日、「薬以外に、本当に病気を治す方法は、無いのだろうか。」と思い立ち、ありとあらゆる無薬療法、鍛錬法を、まったく決死の精進、努力を自己の体に施し、奇跡的な回復を見たのでした。
大正時代に、治療法を公開
その後、医学の最先端だったドイツに、留学した美座時中氏は、カイロプラクティック、オステオパシー、メカノテラピーなどを学び、さらに様々なヨーロッパ式手技療法を研究。帰国後にこれを公開し、「奇跡的霊腕」「驚くべき偉効」と、新聞などにも絶賛されました。
美座療法の全国的な発展
美座氏は、昭和五年に「美座式保健治病術」を、昭和六年には「美座療法とカイロー物語」を出版。各地で講演を依頼され、軍隊や警察署、三越、鐘紡などの大企業の職場、工場、また大学や教会でも、療法を公開。美座療法の全国的な普及につとめ、数多くの会員を得ました。
西洋、東洋の療法、健康法を探る
20世紀初頭、当時の西洋には、香油塗擦法、強肺術、曲直法、クリスチャンサイエンス(宗教治療)、自然療法、ローランド式強健術、ソノテラピー(分体療法)、ハマパシー(整体医術)、健康長生法、ラジカルテクニック(根元療法)など等の無薬療法が在りました。
また日本には、川合(肥田)式強健術、仲居氏の自強術、江間式気合術、臼井氏の霊気療法、藤田氏の息心調和道、小山氏の血液循環療法などの、鍛錬法、療法がありました。
美座時中氏が、研究対象としていたものには、他に、催眠術、びわの葉、紅花、肝油、松葉、栄養療法、電気療法などもあったようです。
美座氏が、患者に行った療法の内容は、身体の骨格脊椎矯正法と、数種類の自己体操の指導、断食療法、紅酸療法、食事栄養指導、自己暗示誘導があります。
他には変わったものとして、ブラナ(霊気)投射治療、自癒霊動法、遠隔治療法もおこなっています。これはオステオパシーのブイスプレット療法、スポンディロテラピーの「人体ラジウム療法」、野口式整体法の、愉気、活元運動、などと同様のようです。
敗戦と、アメリカGHQによる解散
全国的に普及し、人気を博した美座式でしたが、敗戦によるアメリカGHQの政策で、カイロプラクティックは、鍼灸などと同様に、全て禁止され、美座療法の協会も、解散させられました。
日本のカイロプラクティックの、創世記に貢献した美座時中氏は、1962年に亡くなり、後継であった実弟と、息子さんも、早世しました。しかし、そのテクニックは、限られた弟子に伝承され、今に至っています。
正しき脊柱に病気無し。自然に還れ。
快食、快便、快眠こそが、保健のモットーである。
「健康は、富に勝れり。」 「病んで後、初めて健康の価値を知る。」 「自分の健康は、自分で保て。」 「食事、労働、休養、運動、睡眠、の五律を完全に履行していれば、自然に健康となる。」 美座時中氏の言葉は、今も変わらぬ、健康の本質を示しています。
東京水上警察署講演

昭和3年頃撮影の 美座時中氏
昭和5年頃の広告
東京大阪貴金属商組合
大日本紡績株式会社
東京京橋北紺屋警察署
東京牛込神楽坂警察署
日清紡績株式会社
