ドイツ式のルーツとは
「ドイツ式カイロプラクティック、というのは他と、どう違うんですか?」 とよく聞かれます。
マッサージじゃない、気功じゃない、指圧でも整体でもない。経験していただかないとわからないので、最近は、
「違いですか?いやぁ、やってる人間が、ただ明るいっていうだけですよ、あははっ。」
等と言っているのですが、実は、けしてそれだけではありません。
カイロプラクティックといえば、骨をバキバキ鳴らすというイメージや、機械式ベッドのガチャンという音で、怖い思いをしたという話も聞きますが、ここでは他とは違う、「ドイツ式カイロプラクティック」 を紹介します。
カイロとは手
カイロとはギリシア語で 「手」 プラクティックとは 「技術」 のこと、訳せば 「手技療法」 となります。
これは最近の、新しい治療法と思われがちですが、百年も前の1895年に、D.Dパーマー氏によって創案されたもので、さらに二十年前の1874年、A.Tスティル博士により発表された、「オステオパシー」 を規範にしている、とも言われています。
そしてそれらの技術は、日本へもすでに明治、大正時代に導入されており、各地で盛んな講習会が開かれていました。
ヨーロッパの伝統医療
ヒポクラテスの時代より、ヨーロッパにはハーブ、香油、薬草、手技などを使った民間療法が伝承されており、これは中国三千年と言われる、漢方医学に合い通じるものがあります。
また、十九世紀の西洋医学は、発展とともに薬付けの医療批判が、現代同様に言われており、さまざまな無薬療法が、発表されました。そして、カイロプラクティックや、オステオパシーなど、いくつかの療法が、現代にも引き継がれています。
日本のカイロ創世記からの歴史を持つ
ドイツ式カイロプラクティック
難病を自らの努力で克服し、ドイツへ留学した美座時中氏は、世界の無薬療法を研究。帰国後、これを集約発表し、「美座療法」 と名づけ、全国で普及活動を行いました。
限られた弟子により、伝承発展してきた、そのテクニックは、姫野修拓氏によって 「ドイツ式カイロプラクティック」 と命名、公開され、テレビ、ラジオ、雑誌などのマスコミで紹介されると、「これは他とは違う」 と評判、話題となりました。
機械、器具を使わず、手技のみにより、本来誰もが持っている、自然治癒力を活性化させる。
ドイツ式のテクニックは、八十年以上にわたり、研究工夫、継承発展されてきた、歴史と特徴をもっています。
美座時中氏(1885~1962)
「美座式保健治病術」 「美座療法とカイロー物語」を出版。「日本無薬医療家協会」 などを通じ全国的に交流、情報交換をし、日本のカイロプラクティックの創世記に貢献しました。
アンドリュウ テーラー スチル博士
美座時中氏が学んだ治療法、オステオパシーの創始者。「全ての脊椎動物は、骨格さえ正しく整っていれば、あらゆる病気は一掃出来る」 として1874年に研究を発表。オステとは骨、パーシーは病理学、訳せば、「骨柱療法」 「骨病理学」 となります。
ダニエル デビット パーマー氏
同様に、美座時中氏が学んだ療法で、1895年に発表された、カイロプラクティックの創始者。「病は、椎骨の不全脱臼矯正により、神経系統、および脊髄神経を、調整することによって治癒する」 ことを主張した。
姫野源次郎氏
美座時中氏の高弟だった姫野氏は、美座氏から 「自分がいないときに、何かあったら、富山の姫野の所へ行けばよい。」 と言われるほどの、絶大な信頼を得た治療家だった。氏もまた治療の名人として、さまざまなエピソードをもっています。美座式に自らの工夫も加え、大正十二年富山にて、カイロプラクティック治療院を開業しています。(気とは何かもご覧ください)
姫野修拓氏
愛称じい、じっちゃん、姫野源次郎氏の後継。そのテクニックを 「ドイツ式カイロプラクティック」 として公開。その普及と、後進の指導にあたりました。ブルネイ王国、王家の主治医となり、国際的な活躍をする傍ら、テレビ、ラジオにも、数多く出演しました。
「何とかって言う、砂漠の国の王子様、に会ってくる。」 と言い始めたとき、周りの者は 「ついに○○かな?」 と思ったようです。「しかし、わしも年食ったなあ。テレビに映ると、頭のつやがなくなったわい。」 等と、晩年はつぶやいておりました。
自ら練習台になったとき、スキンヘッドに、ヨダレをたらした生徒を、しかることもあった、私の師匠は2004年8月に亡くなりました。
美座時中氏の無薬療法研究
美座時中氏は、生来の病弱で、十歳のときに重い眼病のため、二年の休学となり、青年期には命にかかわる重病のため、視力、聴力を失う危機に遭います。
氏は当時のことを 「名医の治療も、手厚き父母の手当ても、少しの効果も無く、このうえは生きがいも無く、むなしく体を横たえていくしかない、という医師の宣言には、天をも恨み、苦悩の末、命さえ絶たんかと、企てたことも、一度ではなかった。」 と著書で語っています。
しかしある日、「薬以外に、本当に病気を治す方法は、無いのだろうか。」 と思い立ち、ありとあらゆる無薬療法、鍛錬法を、まったく決死の精進、努力を自己の体に施し、奇跡的な回復を見たのでした。
大正時代に、治療法を公開
その後、医学の最先端だったドイツに、留学した美座時中氏は、カイロプラクティック、オステオパシー、メカノテラピーなどを学び、さらに様々なヨーロッパ式手技療法を研究。帰国後にこれを公開し、「奇跡的霊腕」 「驚くべき偉効」 と、新聞などにも絶賛されました。
美座療法の全国的な発展
美座氏は、昭和五年に 「美座式保健治病術」 を、昭和六年には 「美座療法とカイロー物語」 を出版。各地で講演を依頼され、軍隊や警察署、三越、鐘紡などの大企業の職場、工場、また大学や、教会でも、療法を公開。「美座療法」 の全国的な普及につとめ、1000人を超える、数多くの協会員を得ました。
西洋、東洋の療法、健康法を探る
20世紀初頭、当時の西洋には、香油塗擦法、強肺術、曲直法、クリスチャンサイエンス(宗教治療)、自然療法、ローランド式強健術、ソノテラピー(分体療法)、ハマパシー(整体医術)、健康長生法、ラジカルテクニック(根元療法)など等の、無薬療法が在りました。
また日本には、川合(肥田)式強健術、仲居氏の自強術、江間式気合術、臼井氏の霊気療法、藤田氏の息心調和道、小山氏の血液循環療法などの、鍛錬法、療法がありました。
美座時中氏が、研究対象としていたものには、他に、催眠術、びわの葉、紅花、肝油、松葉、栄養療法、電気療法などもあったようです。
美座氏が、患者に行った療法の内容は、身体の骨格脊椎矯正法と、数種類の自己体操の指導、断食療法、紅酸療法、食事栄養指導、自己暗示誘導があります。
他には変わったものとして、ブラナ(霊気)投射治療、自癒霊動法、遠隔治療法もおこなっています。これはオステオパシーの 「ブイスプレット療法」、スポンディロテラピーの 「人体ラジウム療法」、野口式整体法の 「愉気法」 「活元運動」 などと同様のようです。
敗戦と、アメリカGHQによる解散
全国的に普及し、人気を博した美座式でしたが、敗戦によるアメリカGHQの政策で、カイロプラクティックは、鍼灸などと同様に、全て禁止され、美座療法の協会も、解散させられました。
日本のカイロプラクティックの、創世記に貢献した美座時中氏は、1962年に亡くなり、後継であった実弟と、息子さんも、早世しました。しかし、そのテクニックは、限られた弟子に伝承され、今に至っています。
正しき脊柱に病気無し。自然に還れ。
快食、快便、快眠こそが、保健のモットーである。
「健康は、富に勝れり。」 「病んで後、初めて健康の価値を知る。」 「自分の健康は、自分で保て。」 「食事、労働、休養、運動、睡眠、の五律を完全に履行していれば、自然に健康となる。」
美座時中氏の言葉は、今も変わらぬ、健康の本質を示しています。
東京水上警察署講演、亀戸警察署講演








